モビリティの最も自由な表現手段として...

モビリティの最も自由な表現手段として...

実は最近、地元の仲間達と自転車同好会を結成してしまった。その名も「湘南ヴェロクラブ」である。休日は自転車三昧、平日でも通勤手段として天気さえ良ければ最寄りの駅まで自転車で通っている。と言いたいところだが、実際にはそんなにしょっちゅう乗っていなかったりする。

というのも、出先での駐輪スペースの問題や気持ちよく自転車が走れる道があるようでない、といった些細だが「その気」が萎えるような理由が多々あって、なかなか「自転車で出かけよう!」という気持ちにならないのだ。

週末の湘南などは自転車乗りには天国なはずなのだが、どうしてか、あの「ウキウキ」感がない。かつてベルリンに住んでいたときには自転車中毒者だったこの私が、である。

結局、日本における自転車の位置づけは、歩行者以上、自動車未満、その存在は幽霊のようであり、交通法規上は存在していても、その適用が至極あいまいなため、どうにもつかみどころがない。とにかく中途半端な存在なのだ。最近自転車が若者から団塊ピープルまで全国的なブームになっているが、ロードレーサーが売れようと、ブレーキ無しのピストが街を滑走しようと、それらはしょせんはママチャリの亜種であり、放置自転車の山が無惨にも駅前に累々と積み上げられている、自転車にはそのようなイメージしかない。

なんだか,「セッティング」が全然楽しくないのだ。

とはいえ、そんな日本でも、コミュニティや社会システムの中における自転車の役割を論じたり「自転車に自由を!」などと声高に叫ぶことが、以前よりは不自然じゃない時代になったんじゃなかろうか。自転車市民権宣言なんてものを主張する人々も出てきているくらいだ。

例えばパリのコミュニティサイクル・プロジェクトとして、世界的にその成功が注目されているヴェリブ Vélib’ 。最近、日本でもヴェリブがいたるところで話題に上るようになっている。Google で検索してみ欲しい。いくらでもサイトが出てくる。

このようなムードを反映してか、折しも、先月から11月30日までの2ヶ月間にわたり東京・丸の内でJTBが「コミュニティサイクル社会実験」と称してレンタサイクルのパイロットプロジェクトを実施している。そこで、わが湘南ヴェロクラブ調査隊が野次馬根性で現場を視察してきたのだった。(続く

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